ハドソン川にデッチングした、USエアーウェイズ機について。
メディアによると、今回の事故はハドソン川の奇跡として、
サレンバーガー機長を称えていますが、それはもちろん後世に語り継がれる機長です。

ただし、150人もの人を大した怪我もせず全員を無事に生還させたのは、この機長ひとりではない。
推力を失った機体をコントロールするため、副操縦士は、高度、姿勢、速度、油圧、電気系統などの情報をワッチし機長が的確に操作できるよう間違いなく伝えていただろう。

また、客室ではパニックに陥ってる乗客に対し、それを落ち着かせる冷静な保安行動をおこなったCAたち。

また着水後救助に携わった民間のフェリーの乗員たち。
すべてがうまく機能し、大惨事を回避したのである。

映画になる、機長の銅像を作る、勲章を与えるとか、サレンバーガー機長だけがヒーローとしてマスコミに扱われているけれども、
機長を支えた乗員たちも同じように賞賛すべきではないかな。

航空機のデッチング(不時着水)については、
エアラインパイロットはシミュレーターでの訓練を行っているのでそれを実践、理論上そんな難しい技術ではない。
サレンバーガー機長の緊急時の判断とその後の対応がすばらしいということ。

航空機が緊急事態に陥った時、不時着水は最後の最後の手段の方法。
第一に空港の滑走路に着陸することを考え、それに対する最善な方法をとることになるのだけれども、
今回はそれを瞬時に切り捨て、ハドソン川に向かった。

川や海に着水するには、障害物を考えなけらばならない。
海ならばうねりが最大の危険を及ぼす、片方の翼を海面に触れただけで、それを基点に安定を失い、機体が叩きつけられる。

川ならばうねりがそれほどないので、海に比べるとスムーズに着水できるだろう。
しかし、川は障害物だらけ、橋や船だ。

ハドソン川に架かるジョージワシントン橋超えが最大の難関だったろう。
その後しばらく橋はないのでこの橋さえクリアすれば着水は可能。

しかし、橋がないということは、フェリーがかなり行き交う場所。
もし200ないし300トンクラスのフェリーボートがその着水進路にあったら、大惨事になることは容易に分かる。

それをエンジン停止から着水の3分間で迷うことも無く判断し、大惨事となったであろう事故を回避させたのである。
その為に、副操縦士も、パニック状態の客室の沈静化させたCAたちも、機長が無事に着水できたのも彼らのサポートがあったからこそだと思う。


ブルートレインついに消える
ブルートレインラストラン

 僕は鉄道の旅が大好き。

 高校生のころから、ひとり旅、気心知れた友達と列車の旅をしてた。
思い出に残る今は廃止になった列車がたくさんある。
新幹線や飛行機で目的地により早く行くたびもそれはそれでよいけれど、列車そのものに乗ることが目的の旅を良いもんだ、そんな旅も何度もしている。
観光めぐりはそのおまけみたいなもんだった。

 東北本線から奥羽本線の特急「つばさ」、今でも山形新幹線としてつばさの名前は残っているが、僕が好きだったのはキハ82系のディーゼル特急のつばさだ。
福島以北が電化されていない時代の上野ー山形間を走るディーゼル特急である。
エンジン音と排気ガスの臭いがたまらなかった(笑)

 天元台スキー場(米沢駅下車)で競技スキー中、コースアウトし大転倒してしまい、足を亀裂骨折したことがあった。
何とか応急処置してもらいこのつばさに乗ることになった。
しかもグリーン車だ。
当時は貧乏学生、特急すら乗れる身分ではなかったし、しかもグリーン車なんて。
しかし、何とかして帰らねばならない、なけ無しのお金をはたいてグリーン車で帰った思い出がある。
 足が添木で固定されて動かない、狭い普通席では無理、そこで大きくリクライニングする、グリーン車ならということで思いがけなく生まれて初めて、特急列車のグリーン車にのることになったのである。
 足は痛かったけれど、当時国鉄、東北訛りの車掌さんがやさしく介添えしてくれた思い出のキハ82特急つばさ。

 次に思い出に残る今は無き列車、急行「佐渡」緑とオレンジ色の所謂湘南電車色の2ドア165系電車である。
上野から新潟を結ぶ上越線急行電車だが、上越方面へスキーに行く定番列車だった。
網棚にスキー板をぶる下げ、4人がけのボックス席で仲間たちとワイワイ、楽しい思い出である。
とにかく一冬二桁の回数は乗ってただろう。
飲んではいけない年齢だったと思ったが(笑)いい気になってウイスキーを飲みすぎ、スキーどころじゃなかったなんてことも(笑)とにかく何十回と乗ったご愛用列車だった。

 西へ向かう旅は、おいらの年代でも新幹線が主流となっていたが、やはりそうそう乗れるもんじゃない。
だから西への旅は高いというイメージがあった。
 今でこそ「ムーライトながら」なんて洒落た名前の特急列車並みの夜行快速列車があるが、当時は垂直背もたれの普通の湘南電車「大垣行き」という普通夜行列車があった。
確か、佐渡と同じ165系だったかな。
でもこの夜行普通列車に乗った記憶は1度だけ、大垣で乗り継ぎ、京都まで行った。
 米原で200円ぐらいだったか、お稲荷弁当を買って食べた記憶、旨かった。

 夜行と言えば何と言ってもブルートレインである。
今は無き寝台特急「さくら」「あさかぜ」にも何度となく乗った。
さくらは東京を夕方4時ぐらいに出発、長崎には翌日の午前11時ぐらいに着く長距離寝台特急。

 このさくらには長崎から東京まで乗ったのだが、当時は食堂車、サロンカーなど連結され、結構優雅な旅気分が味わえた。
乗り合わせた親子と仲良しになったり、列車ならではの旅の思い出がある。
廃止直前にはその食堂車も車内販売も何もない寂しい状況でラストランを迎えた。
そのラストラン(3年前)のとき、ワザワザ横浜駅でその最後の雄姿を見に行った。

 同じく「あさかぜ」は東京ー下関・博多を結ぶ寝台特急、さくらと同じく2年まえにラストランを飾った。
ブルートレインと代表格とも言えるこの「あさかぜ」20年ほど前、山口・広島を旅行した帰りに乗ったのだが、途中静岡県内走行中、直前を走っていた、貨物列車が脱線事故を起こし、途中で立ち往生。
2時間ほど止まっていたが、復旧の目処が立たたないということで、駅でもない線路上に降り2キロほど歩けという指示。
やれやれとおもって下車する支度を始めたところ、隣に乗り合わせたおばあちゃん、東京にいる孫の結婚式に出席するためにこのあさかぜに乗った、足も悪いしこんな線路上になんか降りることができないと、途方にくれた様子。
お土産など荷物もたくさん、行き合わせ上仕方なく、そのおばあちゃんを抱きかかえ、線路上に降ろした。
無事にお孫さんの結婚式に間に合ったのか、いささか気になったと記憶している。

 他にもいろいろ思い出の列車があるが、
そして、昨年春、昭和を代表する名物列車が引退した。
夜行寝台急行「銀河」である。
この銀河はビジネスマンにとってとてもありがたい列車だったと思う。
東京ー大阪間を走るブルートレインであるが、最終の新幹線が出発した後、始発の新幹線が到着する前にそれぞれ到着する時間設定。
所要時間の関係上、特急には昇格できなかった、ブルートレインである。
大阪へ出張し、大阪の仲間と飲んで、気がつけば最終の新幹線が出てしまった。
しかし、翌日は定刻出勤しなければならないというビジネスマンにとってとてもありがたい存在だった。

自分はこの銀河の思い出はあまり無いのだが、ある日突然若狭へ行こうと思いつき駅へ。
ところが途中でハプニングに遭遇、乗車駅である、横浜駅に着いたのが銀河発車の数分前。
切符なんか買う暇はなく、何とかなるだろうと自動販売機の最低区間の切符で乗車。
ところが、そのとき乗った銀河はほぼ満席、しかも何だか訳のわからない宗教団体の女性ばかりだ。

 それはそれで、車掌に時間の都合で、切符買っていないのだが車内清算で乗せてほしいと申し出るも、それはできない、次の大船駅で降りるよう言われた。
そこをなんとかならぬのかと説得、何とか特別に(当時、国の発行したある身分証明書が利いた)1席確保でき、一路米原まで乗った。

が、しかし、その列車の乗客は何だか異様な雰囲気の団体、しかも女性ばかり、あっちこっちで変な読経の声が。。。気持ち悪かった(笑)
 
 遅くて早い列車、そんな銀河も今はない。
 銀河ラストランの切符は30秒で売り切れたとか。。

西へ向かうブルートレインは最後に残された1列車「富士」「はやぶさ」の併列寝台特急、しかしこの3月14日のダイヤ改正でついに引退。

 これで東海道からブルートレインが消え去る。
 昭和を代表する数々の列車たちが、ついに無くなっていく。
スピード時代で仕方がないのかもしれないけれど、寂しい限りだ。


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